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病の底
 久しぶりに講演の依頼を受けたのは病院だった。
 副院長がエナタンの『LIGHT GATE』を読んで場を設けた。
 この病院では待ち合い室で小さなコンサートを開いたり、廊下に美しい色彩の絵を数多く飾ったりして人々の癒しに心を砕いてきていた。
 エナタンは副院長のエド・ガードナーと一目会った瞬間から彼には垣根がないのを感じていた。
 エドはホロンによく似た瞳をした静かで茶目っ気のある男だった。
「どんな話をしましょう?」
「あなたが話したいことを話してください。」
 エドは信頼に満ちたきらきらした瞳でまっすぐにじっと見た。
 エナタンはその瞳に心が定まった。
 待ち合い室には入院患者やその家族、外来患者、つきそい、手の空いた医師や看護師などでいっぱいになった。
 小さくうなずくと、エナタンは言葉を発した。
「なにかしらの不調を抱えていらっしゃる方々がここへと集まってきています。ここはそういう場なので、病について少し語ってみたいと思います。どうしてわたしがそんな話をするのか不思議に思う方もいらっしゃるでしょう。けれどもすべて地続きなのです。」
 エナタンは用意されたマイクを通して静かにかみしめるように語り出した。
 フェイは以前の噛みつくようだったエナタンの語り口をもう思い出せないでいた。それほど、エナタンは以前のエナタンではなかった。
「生きている者にとって、病ほどつらいものはありません。からだに留まらず、心の病もそうです。一体なぜ病になるのだろう?と誰しもが一度は考えたことがあるはずです。」
 エナタンは用意された椅子に座った。
「二十世紀の目立った答えは環境でした。衛生に注意を払い、食事のバランスに気をつけ、適度な運動が必要で、過度のストレスもよくない。そこからはずれると病となる、と。または、ウイルスというのがいて、それが悪さをするために病となる、と。もちろんそれもあります。けれども、二十一世紀に入るとそれだけの説明では物足りないと感じてきておられませんか?」
 かすかにうなずく人が幾人かいた。
「病の底が深くなって来ているとうすうす感じているからです。病が深くなるなら、どうして病になるのかもその分深くみてみてもいいのではないでしょうか?」
 ちょっと区切って言った。
「もちろん、ひとつには信号という意味もあります。自分の深いところの想いと違っていることをしているがためにそれを知らせる、軌道を修正するための信号。それと・・。」
 エナタンはこちらを向いている人、ひとりひとりの顔を順番に見つめていった。
 ひとつ咳払いするとエナタンは少し身を乗り出した。
「人の深遠には様々な感情が眠っています。それはその人の人生において追加されたものと、それよりももっと深い個人の歴史も超えたものとがあります。横たわっているのです。まるで星と星の間の空間のように。・・星が浮かぶには漆黒の空間が必要です。あまり怒ったことのない月のような人も、怒りを等しく抱いています。怖いものがないと思っている太陽のような人の底にも、底知れぬ恐怖は眠っています。」
 エナタンは車椅子の少女に問いかけた。
「あなたがもし、自分の存在をないことにされたらどう思いますか?」
「それは・・つらいです。」
 エナタンはうなずいた。
「感情もそうです。人に生まれるというのは、その喜怒哀楽を感じ尽くしその感情をここへ、表現するという役割もあるのです。言ってみればわたしたちはそういった感情という目に見えない営みの変換浄化装置でもあります。」
「人が?」
 エナタンはにこっと笑った。
 フェイははっとした。
 あの人のあんな笑顔は、見たことがなかった。・・でも、なぜか知っていた気がする。あの人はあんな笑顔をする人なのだ。
「なぜなら、その時こそ、人は世界を癒しているからです。」
「どういうことですか?」
 いぶかしげに年老いた男性が聞いた。彼は隣の銀髪の女性に支えられていた。
「病がどうしてあなたを嘆かせるのか。病がどうしてあなたを哀しませるのか。そここそが大事ではないですか?その理由こそが・・実は、嘆き、怒り、哀しむことによってほんとうはからだよりももっと深いところを癒しているのです。感情はそれに触れられることによって浄化される。もちろん、個人を超えた感情までも。」
 多くの人が思考停止の表情をした。
 意味がわからないという顔である。
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