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苦しみの果実
 エナタンの死は突然だった。
 翌朝起きた時、フェイはまるでそのことを予感していたかのように、眠っているようなエナタンの顔を見てつぶやいた。
「往ったの?」
 その瞳からひと粒ダイヤのような雫が落ちた。
 ヨキはあわててシャツのボタンをかけ違えたまま飛んで来た。
「一体どういうことだ!?なんでエナタンが!昨日は元気だったじゃないか!」
 フェイは取り乱したヨキを抱き締めて落ち着かせると、エナタンの眠る寝室に案内した。
「うそだろ!?そりゃないぞ!まだまだあんたと一緒にやってくはずだった。ばかやろう!これからじゃないか!」
 ヨキは男泣きに泣いた。
 しばらくヨキをひとりで泣かせておいてから、フェイは静かにヨキにお茶を運んだ。
「飲んで。落ち着くわ。」
「きみは大丈夫か?すまない取り乱して。」
 フェイは蒼い顔をしていたが、うなずくと少し微笑んだ。
「そんな気がしていたの。なぜか。そうであってほしくないとは思ってたけど。」
 そう言って少し間を置くと、不思議な落ち着きを見せてフェイは語った。
「それとね。なぜかひとりではないってわかるの。エナタンが去ってしまってその想いは強くなった。」
「?」
「きっとそうよ。ひとりじゃないわ。」

 アンディの嘆きは誰が見ても心配した。エナタンの葬儀では以前のアンディのように乱暴に振る舞い、ひとりで森に駆けていった。
 見兼ねてルーサーが後を追った。
 森の中で小さな樅の切り株に寄り掛かって座り込むアンディがいた。
「アンディ。」
 アンディはぶすっとルーサーを見た。
「おまえはエナタンが死ねばいいと思ってたろ?」
「やめろ。もうそんなこと思ってない。オレだってつらいんだ。あの人がいなくなって、オレにとってあの人の存在がどんなに大きかったかわかった。胸に穴が空いたみたいだ。」
「どうして行っちゃうんだ?」
 アンディは怒ったようにつぶやいて切り株を殴った。
 殴り続けて血が出て、ルーサーに腕を掴まれた。
「やめろ!」
「この木をオレのためにツリーにしてくれたんだ。どうしてオレのとこからみんな行っちゃうんだ!」
 顔を歪ませたアンディはルーサーの胸で泣いた。ルーサーも泣いた。
 心配したフェイとヨキがふたりのそばに立っていた。
「アンディ。頼みがあるの。」
 アンディはフェイの方を向いた。
「あなたにはこの子たちのいいお兄さんになってほしいの。」
「この子たち?」
「エナタンの子よ。」
 アンディと、ルーサーと、ヨキはフェイの顔を見た。
「エナタンの子?」
「この子たちって?」
「双子なの。」
「そうなのか?」
 ヨキはフェイに確かめた。
 フェイはうなずいた。
「確かめて来たわ。」
 アンディを見た。
「べそべそしてる場合じゃないわ。お兄さん。」
 アンディは立ち上がって、フェイの顔を見上げた。
「触っていい?」
「いいわよ。」
 アンディはおそるおそるフェイのおなかに手を当てると、耳をつけた。
「ドクンドクン言ってる。」
「そうよ。」
「エナタンは知ってたのか?」
 ヨキが問うと、フェイは微笑んで答えた。
「今、知ってると思うわ。」

(まったく・・。)
(残念だな。)
(あきれるよ。喜んでいいのか、哀しんでいいのか。)
(喜んでいるな。)
(まあな。)
(教えてやろうか。)
(なんだ?)
(アンディはきみの娘婿だ。)
 エナタンは口笛を吹いた。
(もうひとりのルシフェルは?)
(きみがしたくてできなかったことを人生のすべてを通じてするだろう。)
(なにを?)
(ひととしてのささやかなしあわせを彼は大切に掬い取り味わうことが出来る。人の痛みと寄り添いながらね。)
(そうか。)
(きみがルシフェルの道をつけたんだ。)
(苦しみの果実はここに実るんだな。)
(ああ。では、ゆくか。)
(ゆこう。ホロン。)


 〜完〜
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光の名前
 エナタンとフェイは結婚した。
 ごく内輪だけで祝った。
 アンディはひどくはしゃぐかと思えば、急にふさぎ込んだりした。
「彼なりに環境の変化を感じてるんだ。」
 ヨキはそうエナタンに告げた。
 エナタンはアンディを呼び寄せ、念を押した。
「何も変わらない。きみは今まで通りわたしたちの大事な友人だ。遊びに来るんだ。」
「エナタンに子供が出来たらオレはそう大事じゃなくなるさ。」
「ばかだな。子供が出来て友人をないがしろにするやつがあるか。変に気を回すな。」
 だが、アンディはふっと寂し気に笑った。
 それはどこか運命を受け入れたような、大人の表情だった。
 エナタンは何も言えず、アンディを見送った。

 その晩も更けて、フェイも寝息を立て始めた頃、エナタンは寝つけずに書斎の椅子に座った。
 久しぶりに何かを書こうとペンの蓋を取った時だった。
 振り返った。
「ホロン・・。」
 天使の姿をしたホロンが、ソファーに座っていた。
「なぜ、きみがここに?」
「わかってるはずだ。」
「・・。」
「きみは充分やった。地上での日々を今度こそ充分とね。」
「・・ああ。だが・・。」
「フェイとの暮らしがこれからだというんだろう?」
「・・。」
「きみにはこれ以上ない地上のしあわせを手放すという体験が残っている。」
「フェイをひとりにするのか?」
「いや。」
「・・。」
「彼女もきみとの人生を充分やったさ。彼女にはまた別の人生が用意されている。」
「・・そうか・・。」
「切ないもんだ。人生は。」
「ああ。」
 ホロンはエナタンがペンを持とうとしていたことに気づいた。
「書こうとしていたのか?」
「・・ああ。」
「何を?」
 エナタンはしばらく考えて、首を振った。
「いや。もうないことに今気づいた。わたしの人生は『LIGHT GATE』を残していくことにあったんだ。」
 ホロンは微笑み、うなずくと夜更けの霧に静かに融け込んでいった。

 それから1週間。
 エナタンは静かな日々を味わった。
 朝目覚めるとフェイがそばにいて、一緒に食事をし、夕暮れをともにする。
 エナタンは忘れないように、その赤々と映える夕陽を心に焼きつけた。
 いつものようにたわいない話をし、ヨキと会い、アンディと遊び、ルーサーを呼んだ。
 誰もエナタンの様子に気づかなかった。
 エナタンは誰かに会う度に心でつぶやいていた。
(ありがとう。なにもできなかった。)
(ありがとう。言葉にはできない。)
(ありがとう。忘れない。)
(ありがとう。また会おう。)

 その晩フェイが言った。
「エナタン。もしも子供が出来たら、なんていう名前にする?」
 エナタンは微笑して、フェイに返した。
「きみがつけたらいい。」
「じゃあ、男の子だったらわたしがつけるわ。女の子だったらあなたがつけて。」
「女の子・・。」
「いいのがある?」
「いや。」
「言ってみて。」
 エナタンは少し笑って、言った。
「フィオナしか思いつかなかった。」
「いいじゃないそれ!」
「男の子なら?」
「ルシフェルにするわ。」
「えっ?」
「ルシファーになる前の光の名前よ。あなたの本来の名前よ。」
 エナタンはフェイを抱き寄せて万感を込めてその耳にささやいた。
「ありがとう。」
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3人目の友達
 セントラルパークで春風に吹かれていた。
 いつの間にか眠りこんだらしい。
 顔の上に何か降って来た。花の香りがする。
 笑い声が響いた。
「アンディ。」
 顔中にちりばめられた花びらを払いながら苦笑した。
 今日は久しぶりにフェイとアンディと骨休めに来ている。
 アンディはずいぶん落ち着いてきた。
 施設長のアナ・ロランはうれしそうにエナタンにそう報告した。
 起き上がったエナタンの目に飛び込んできたのは、ヨキの姿だった。
 ヨキはもうひとりと連れ立っていて、こちらを見つけると手を振った。
「ヨキ・・。」
「見つけた。今日はここにいるって聞いてたからな。もっともこの広いセントラルパークで見つけられるとは思ってなかった。」
 エナタンは立ち上がると、ヨキの連れてきたもうひとりに笑いかけた。
「やあ。」
 手を差し出して握手する。
 ヨキがつけ足した。
「ボーダー社まできみに会いに来たんだ。きみに話は聞いていたから連れてきた。」
 ルーサーは陽光にまぶしそうに顔をしかめながら小さく会釈した。
「誰?」
 アンディが無邪気に聞く。
「ルーサーだ。3人目の友達だよ。」
「友達?」
 アンディとルーサーは同時にいぶかしげな声を上げた。
 アンディはぶすっとした顔をし、ルーサーもあきれたような顔をした。
「いつから?」
「今からだ。」
 エナタンはニヤリと笑って聞いた。
「どうして会いに来たんだ?」
「どうしてって・・。」
「ほら。」
「?」
「意味もなく会いに来るのは友達ってことだ。なあ、そうだろ?」
 1番目の友達に向かって相づちを求めた。
 ヨキは可笑しそうにうなずいた。
「あんたにも色々友達が出来たか。」
「やたらに友達作るなよ。」
 アンディが口をとがらせる。
「しかたないだろう。彼もおまえもオレによく似てるんだ。」
「どこが!オレはこいつになんか似てないぞ!」
 アンディはルーサーを指差すと、そう叫んでフリスビーを持って駆けていった。
 ニヤニヤと笑いながらエナタンはルーサーの方を向いた。
「面白いやつだろう?なんとも憎めない。」
 アンディは自分を見てくれないことに気づいてエナタンの元に再び駆け戻って来た。
 ルーサーは微かに上の空な物言いた気な素振りを見せた。
 エナタンは敏感に感じ取って、聞く姿勢になった。
「その・・。まだ、言ってなかったんで・・。」
「・・?」
「あなたを刺してすみませんでした。」
 そう言って頭を下げた。
「こいつか!」
 アンディはかっとなってルーサーに飛びかかった。
「やめろ!」
 エナタンとヨキがアンディをルーサーからはがした。
 ヨキが抱え込んだ腕の中で暴れている。
「ばかやろう!大ばかやろう!こいつ!殴ってやる!」
「よせ。謝りに来たんだ。聞いただろう?ルーサーは謝っている。」
 ヨキがアンディをなだめている。
 アンディは涙をにじませながら叫んだ。
「エナタンを死なせたらオレが許さない!」
 ルーサーはアンディの叫びに立ち尽くしていた。自分がしたことをあらためて噛みしめざるを得なかった。
 こればかりはこたえた。
 アンディは小さな体全身で叫んでいた。こんないのちに叫ばせるものを自分は傷つけたのだ。自分がデイジーを奪われた時の痛みを思い出した。
 エナタンは静かに笑みを浮かべながらアンディに向き合った。
「アンディ。安心しろ。」
 ルーサーの方を向くと、彼をほぐすように少しおどけた表情で紹介した。
「紹介しよう。1人目の友人ヨキ。そして2人目の友人アンディ。そしてきみが3人目だ。」
「趣味わるいぞ!」
 アンディが叫ぶ。
「ハハハハハ!」
 エナタンとヨキは大声で笑った。
「こっちでランチを一緒に食べましょう!」
 フェイが面白そうに笑って呼んだ。
 アンディの言葉が痛かったのか、ルーサーはおとなしかった。
 エナタンはルーサーを気づかって話しかけた。
「学生かい?」
 うなずく。
 ヨキが明るく聞いた。
「何を学んでいるんだ?」
 ルーサーは自嘲気味に苦笑すると、小声で答えた。
「臨床心理学。」
「じゃあ、心理学の先生かカウンセラーにでもなるの?」
 フェイが聞く。
 ルーサーは首を振った。
「障害事件を起こして、人の痛みを聞くもないでしょう。」
「いや。」
 エナタンがシナモン・ティーから口をはずして首を振った。
「きみは大事なものを失った痛みを知ってる。そしてさらに今きみは人を傷つけてしまった人間の痛みにも寄り添えるじゃないか。きみのような人間こそカウンセラーになったらいい。」
「えっ?」
 ルーサーは顔を上げて意外だという表情をした。
「どんな人間にも痛みはある。」
 ルーサーは再び目を落とした。
「そうか・・。」
 しばらく沈黙して、つぶやいた。
「あなたにも、あったんだ。」
 ヨキとフェイは顔を見合わせて微笑んだ。
「オレはあなたをほんの一面からしか見てなかった。・・いや、あなただけじゃない。きっと世界もほんの一面からしか見てなかったんだ。」
「きみ自身もだよ。」
 もう一度顔を上げてルーサーはエナタンの顔を見た。
「きみは白でも黒でもない。灰色だ。灰色は白にも黒にも近くなれて、どこまでも広大だ。きみの可能性は限りがないんだよ。」
「可能性に乾杯!」
 ヨキがビールを掲げた。
 ルーサーはやっと笑った。
 それぞれが手に持ったものを青空に掲げた。
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抱かれるルシファー
 次の面会に行くと、今までのルーサーの反応とは違っていた。
 彼はひとつ深くため息をついた。
 エナタンは彼がエナタンよりもルーサー自身の方を向いていることに気づいた。
 自分の今の状況に向き合わざるを得ない日々から、ルーサーは静かな内省期に入っていた。
「今のオレが何を言っても説得力はない。オレは自分が憎んできたことを自分でしてしまったんだ・・。前科一犯だ。あんたのことを憎らしく思っても、救われない。そんなことぐらいわかるさ。だが、あいつらへの憎しみは消せない。これは墓場まで持って行く。」
「・・。きみが握りしめるその憎しみを、わたしに預けないか?」
「なんだって?」
「わたしの憎しみの歴史は堂に入ったものだ。きみも読んだろう?だから安心してきみのその想いをここにくれ。」
 エナタンはてのひらを開いた。そして続けた。
「ああ、どうしてもいやならすぐに返す。ただ、きみがここに生きるために、どうしても必要な儀式だと思ってくれていい。」
 他になんの為す術も持たないことに、この何日か直面させられてきていたルーサーは、思いのほか素直に同意した。

「きみのその煮えたぎる想いがひとつの結晶としてここに現れる。いいかい?これは儀式だ。真剣に。」
 ルーサーはエナタンのてのひらに瞳を落とした。
「赤々と心も焼く固まりだ。そう。ほら。それだ。」
 ルーサーの額から汗がひと粒垂れた。
「よし。のせたな。」
 エナタンはそう言うと、静かにてのひらを閉じた。
「今わたしがもらった。きみはわたしにそれを預けたんだ。いつだって返す。安心して。いいかい。今。たった今のこの瞬間のきみの中の透んだ湖を見るんだ。哀しみの底を見るんだ。」
 するとみるみるうちにルーサーの瞳に湖が溢れた。
「・・会いたい。デイジーに会いたい。こんな別れ方をするなんて。そんな理不尽なことがあるか?デイジーは何も悪いことをしていない。」
 エナタンはうなずいた。
「神なんていない。この世界なんて信じられない・・。」
 エナタンは再びうなずいた。
「・・・。」
 後は言葉にならずに泣いていた。
「・・きみのその哀しみの底に、まだ何かある。それはなんだろう?」
「なにもない。」
「静かに。その奥だ。」
 ルーサーは肩を震わせて顔を覆った。
 エナタンはルーサーの肩を抱いた。
「ちゃんと泣かなかったのか?今まで。」
 ルーサーは嗚咽した。
 赤ん坊が喚くようにルーサーは泣いた。
「憎しみで自分を支えてきたのか?・・もう、いい。いいんだ。ルーサー。」
 蓋をしてきた感情が溢れてきた。エナタンはそれを全霊で受け止めた。
 ルーサーはその感情に自分が壊れてしまうかもしれないという恐怖とも向き合った。
 痛切で、悲痛だった。
 慟哭、そして嗚咽だった。
 それは身を切るような哀しみであり、自責の念であり、運命への恨みでもあった。
 どこにも行き場のない想いは、憎しみの蓋をとられて溢れくる。
 ルーサーは寄る辺ない嵐の海に浮かぶ藻くずのようだった。
 まるで、その痛みは永遠のようだった。
 エナタンは自分が落ちたときからの果てしない時間を抱くように、ルーサーを受け止め続けた。
 そこにはルーサーもなく、エナタンもなく、抱かれ続けるルシファーが在るだけだった。
 光の門にはそれを塞ぐ扉はなく、あからさまになったルシファーの痛みにはその陽の光が永遠に注がれ続けている。
 エナタンはそれをはっきりと感じ続けながらルーサーを孤独の深淵から支え続けた。
 長い長い時が過ぎた。
 果てしなく思えたその慟哭も、やがてついに津波が引くように去る時を迎えた。
 それはまるでようやく終わりを迎えた嵐の曇天に静かな朝日が差してきたようだった。
 ルーサーの瞳に今までと違う陽が差し、まるで生まれ立ての赤子のように全身がゆるんでいた。
「・・気分はどう?」
「・・・。全力疾走したみたいだ。」
「今のきみをありのまま感じて。・・その朝もやの向こうに陽が昇るのが、やがて見えてくるかもしれない・・。」
「・・・不思議だ。そんな気もする・・。」
「きみはよくやったよ。その全力疾走はメダリストものだ。」
 エナタンは立ち上がりながら言った。
「・・ところで預かりものは要るかい?」
「預かりもの?」
 脱力していたルーサーはそのことを思い出した。
 微かに笑った。

 立ち上がったエナタンはルーサーに背を向けて立ったまましばらく口を開かなかった。
 そして、唐突に可笑しそうに笑った。
「何が可笑しいんです?」
 ルーサーは聞いた。
「きみが言ったことを思い出していたんだ。わたしには無理かもしれないな。」
「何が?」
 振り返ったエナタンはルーサーに言った。
「傲慢と手を切ることだ。」
 ルーサーは一瞬あっけにとられた顔をしてあきれたようにつぶやいた。
「あきらめるんですか?」
「楔のように骨の髄に打ち込まれているんだ。遥か永劫からの歳月をね・・。」
 エナタンは哀しいような可笑しいような不思議な表情をした。だが、すぐに真面目な顔になって続けた。
「だが、あきらめられやしない。そうだろう?だから苦しんできたし、揺れ動いている。」
「だってあなたは12番目の門の向こうに行ってきたんでしょう?だったらもう悟り切っているはずだ。」
「ルーサー。」
「・・。」
「わたしはあそこで進化をチャラにしてきたわけじゃない。ここで生きるというのは、誰しもが揺れ動くということなんだ。そして、かろうじて踏み止まる。その時に底知れぬ力は復活する。悟り切ったなら人間でいる必要はない。」
「揺れ動くなんて。それが人間だなんて。かなわない。白か黒かはっきりさせたい。オレはやっぱり黒いやつは許せないし、オレが白でなくなったなら、オレも許せない。」
「きみは灰色だ。」
「・・。」
「黒いなら、黒い者は自分のことを黒とは言わない。自分は白だと言い張るだろう。そして、その時、その人物ははたから見れば真っ黒だ。」
 付け加えた。
「もっともそれも真っ黒、と決めつけるのも傲慢かもしれない。限り無く黒に近い灰色なのかもしれないな。」
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ルーサー
 再び面会を申し込んだ。
 9回目にやっと扉は開かれた。
 少しやつれ、疲れて脱力したようなルーサーは黙ってエナタンを迎えた。
「ルーサー。きみの話をじっくり聞いてみたいとずっと思っていた。きみが席を立った時から。」
 まるで壁に向かって話すようだった。
 だが、エナタンは気にしなかった。覚悟してここへと来ていた。
「きみの痛みを知らなかったこと、謝りたい。」
 ルーサーは自嘲気味に笑った。
「あんたのいう通り、加害者になった。あんたが偽善者面してそんなことを言っても、どうせ心の中では笑ってるだろ。ほっといてくれ。」
「ルーサー。」
 エナタンは身を乗り出した。
「わたしが言っていたことを覚えているか?きみが自分をどうみせようと、さいなまれていることはわかる。」
 ルーサーは答えた。
「あんたになにがわかる。人の痛みを軽く扱うやつに制裁を加えて何が悪い。オレは正しい。」
「・・。きみは今、自分は正しい、と言った。だが、正しさがどうだっていうんだ。」
「・・。」
「大事なのは、きみが、救われているかどうかだ。」
 ルーサーは立ち上がってエナタンを睨んだ。
 そして叫んだ。
「救われるわけがないだろう!」
 一緒にいた弁護士が思わず立ち上がってルーサーを止めようとした。
 エナタンは微かに首を振ってそれを制した。
「オレはあの日からずっと救われていないし、これからも永遠に救われない!デイジーはもどってこない!あいつらは刑務所でのうのうと生きてる!そんなことは間違ってる!!」
 ルーサーは壁を蹴り、座っていた椅子を持ち上げ床に叩き付けた。
 弁護士はルーサーを後ろから羽交い締めにした。
 エナタンは真正面からルーサーに近づいた。そして覆いかぶさった。
「放せ!畜生!」
 抱きつかれたルーサーはエナタンの背を拳で殴った。
「よせ!やめるんだ!」
 弁護士は叫んだ。
 ルーサーは抵抗しないエナタンに激昂してなおも殴った。
「よせ、もうやめろ!この人の傷はまだ癒えていないんだ!犯罪を重ねる気か!?」
 弁護士はもう一度ルーサーに大声でそう叫び、腕を掴んだ。
 ルーサーは殴るのを止められ、エナタンに抱きつかれたまま泣いた。
 弁護士はルーサーの腕をつかんだまま、溜め息をついた。
 ルーサーとエナタンのふたりはどちらからともなくくずれるようにその場に座り込んだ。
 エナタンは少し咳き込みながら、ルーサーに語りかけた。
「・・デイジー。いい名だな・・。」
「・・オレがつけたんだ。」
 エナタンはルーサーの顔を見た。
「オレがどうしてもこの名がいいと言って、親がつけてくれた。うれしかった。妹が出来たことが。」
「・・愛してたんだね。」
 ルーサーは溢れてくる涙をぬぐった。
「守ってやれなかった。」
 エナタンは何も言わずに、ルーサーの心のやわらかいところと手をつないだ。
「あいつらも憎い。だけど、オレは自分も許せない。」
 エナタンは思わずルーサーの肉体の手に自分の手を重ねた。
 何も言わなかったが、エナタンの目からは涙が伝っていた。
 しばらくそうしていた。
 だが、弁護士が壊れた椅子を片付け始め、告げた。
「そろそろ時間です。」
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痛み
 目覚めたエナタンの瞳に映ったのは、アンディの怒ったような顔だった。
「ばかやろう!」
 そう言ってグリーンのマフラーでエナタンをはたく。
「こんなもの要らない!」
「アンディ!」
 アンディを抱き締めて下がらせるフェイの顔と、心配そうなアナの顔があった。
「彼は?」
 第一声で自分を刺した若者のことを聞くエナタンに、フェイは苦笑して答えた。
「警察よ。」
「ばかばか!」
 フェイの腕の中で両手を振り回すアンディに、エナタンは微笑みかけた。
「悪かった。」
「そいつ、殺してやる!」
 エナタンは手を伸ばしてアンディの頬に触れた。
「どこでそんな洒落た言葉を覚えた?」
「みんな知ってる。」
「そうする必要はない。」
「そんなばかやろうは殺しちまえばいいんだ。」
「わたしがいなくなると思ったのか?友達だと思ってくれたんだな?そう、言いたかったんだな?」
 アンディはべそをかきだした。
「安心しろ。」
 フェイも安心したのか、少しもらい泣きした。
「まだ、往くわけにはいかないんだ。」

 思ったより傷が深くて、入院は長引いた。
 エドのおかげでマスコミからは静かに守られていた。
 ベッドから起きあがれるようになると、エナタンが入院病棟を車椅子で散歩して回る様子に、少しずつ入院患者たちは心を開き始めた。
 あの、質問した年配の男性がエナタンの姿を見つけて声をかけた。
「あんたも大変だったな。」
「いや、あなたも大変でしょう?」
 笑顔を浮かべるエナタンにつられて、彼に限らず話し掛ける者はたいがい笑い返した。
 エナタンが無防備に機嫌よくしていることで、エナタンのそばにはいつも誰かしらが近寄り、輪が出来ていった。
 車椅子の少女が笑いかけた。
「それも意味があるってことですね?」
「いいことを言う。誰に聞いたんだ?」
 エナタンは笑って少女に目配せした。

 フェイがやって来た。
 エナタンはフェイの目を見てうなずいた。
「車、回してあるわ。」
 エナタンたちが密かに向かったのは留置場だった。
 エナタンを刺した若者が拘留されていた。
 エナタンは若者の弁護士から、彼の妹が犯罪者によって命を奪われていることを知った。
 若者の弁護士も同席して、エナタンは彼と面会することを望んだ。
「きみを訴える気はないとソダーバーグ氏はおっしゃっている。だが、条件としてきみと話すことを望まれた。」
「オレには話すことはない。拒否する。」
「きみは会った方がいい。被害者の感情を損ねるのはきみにとって不利だ。」
「構わない。あんなやつの機嫌をとる気はない。どうなってもいい。」
「きみはまだ未成年だ。きみの御両親の許可もいただいている。わたしはきみを守る責任がある。きみのわるいようにはしない。」
 フェイが押した車椅子が部屋に入った。
 エナタンは若者に声をかけた。
「また会えた。わざわざあそこにも来てくれていたんだね。」
「あんたの口を封じる機会を狙っていた。」
「あの時からずっと?」
 若者は目を合わさず後ろを向いた。
「あんたには何を言っても通じないと思って絶望したから刺した。」
「名前はルーサーでいいんですね?」
「ルーサー・ランバートといいます。」
 弁護士は答えた。
 エナタンの講演中に席を立った若者が、ここに座っていた。容疑者として。
「わたしの何が許せなかったんです?」
「傲慢さだ。」
 うなずいてさらに聞いた。
「きみはあの後、ずっと何を思っていた?」
「オレのことを答える必要はない。あんたが自分の胸に手をあてて考えろ。」
「・・きみは妹さんを亡くしていたそうだね。犯罪によって。」
「だからどうだっていうんだ。相手を憎むことより、あんたは自分の痛みを見ろっていう。そういうのを傲慢だっていうんだ。出て行け!口も聞きたくない!あんたはオレの弁護士だろ?オレの側につけ!」
 ルーサーは弁護士の方を見て怒鳴った。
「わたしはきみの刑を軽くするのが仕事だ。きみに誰かが危害を加えるようなことがあればそれからも守るのが仕事だ。職務には忠実だ。」
「オレはこいつから精神的危害を加えられている。今すぐ出てってくれ!」
 いまにもエナタンにつかみかかろうとでもするかのようなルーサーの様子に、弁護士はあきらめてエナタンに申し出た。
「申し訳ありませんが、彼は興奮している。またにしてください。」
 エナタンはうなずいてフェイをうながした。

 車の中で黙りこくるエナタンにフェイがつぶやいた。
「痛くて痛くてどうしようもなかったのね。」
「きみと同じことを思っていたよ・・。」
(ならばわたしはどうすればいい?)
 エナタンは考え込んだ。
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光の3原色
「わたしたちの中に感情に優劣をつけてきた習慣があります。気持ちのいい楽しい感覚だけがよくて、胸が張り裂けそうな痛い想いというのは悪だと。けれどもご存じですか?光の3原色を混ぜた時、白となることを。絵の具の色を全部混ぜたら黒になります。色の3原色の混ざり切ったところは黒です。けれども、光の3原色を混ぜると最後は白になります。テレビの画面や舞台照明はそうです。」
「なんのことだ?」
 どういうことかと聞いた老人が再びつぶやいた。
 ますます分からないという顔が増えるのを見てエナタンは笑った。
「色ではなく、光から見ることも必要なのです。光の中に全ての色は含まれるのです。哀しみと怒りと喜びは、等しく光の成分なのです。12番目の門の向こうはそうでした。そして、そこは遠い場所ではない。実は今ここにすでに、あらかじめその門は開かれているのです。12番目の門の向こうに全ての門は含まれていました。」
 そこで一息ついて静かに語った。
「感情はその人間の人生において表現されることを待っています。あらゆる手段を使ってその機会を得ようとします。たとえ病になろうと、自らのその使命のためならひとはそれを厭いません。」
 ふと、気がついてエナタンは首を振った。
「表現というのはただ、喚くとか、人に当たるとか、そういうことではありません。感じないよう蓋をするのではなく、その感情が自分に湧いているのをまるごと抱きとめるということです。ただし抱え込むのではなく、充分に抱きとめた後にはそれが昇華するのを見送ることが大切です。それが浄化ということです。なぜならそうして見送る感情はごまんと列をなして順番を待ち望んでいるからです。深い哀しみの後には喜びもやって来るのです。それに蓋をしてはいけません。」
「それならやっている。」
 エナタンは老人に静かに敬意を払ったまなざしを向け、隣の婦人にも微笑んだ。
 別の女性が問いを発した。
「病になるということが、別の意味を持つと?」
「そうです。」
 ある看護師が手を上げた。
「病は克服するもの、そのためにわたしたちは闘って来たと思ってきました。」
「克服しようと懸命に努力することによって味わう感情があります。そして、それがかなわなかった時に味わう感情もあります。それが尊いのです。例え元通りのからだとならなくとも、感情の歴史を築いたかけがえのない人生です。人生を生きた者です。祝福というのは、すべての人間のものです。なぜなら、感情を味わわない人間などこの世にひとりもいないからです。感情という途方もない営みを経験し、さらにそれを乗り越えてゆくとき、魂は磨かれてゆきます。それを手土産に、あの門をくぐるのです。それが世界の財産であることをその時知るでしょう。」
「今、わたしたちが苦しんでいたりすることは意味があるということですか?」
 車椅子の少女がそっとつぶやいた。
 エナタンはもう何も言わずにただ深く微笑を浮かべ、人々に感謝するように手を合わせると立ち上がった。
 エドがにこにこと近づいて来た。
「ありがとう。」
 エナタンはうなずいた。
「こちらこそ。あなたのその笑顔の成分はいったい何で出来ているんだ?」
 ふたりは肩をたたきあって笑い合った。

 その時、エナタンは脇腹に鋭く突き刺すものを感じ、雪が雪崩るように静かに崩れた。
 エドが抱きとめた。
 フェイが叫んだ。
 待ち合い室は騒然となった。
 看護師の男性が、ひとりの若者を押さえ込んでいた。
 エナタンはその顔を見て微かに笑った。
「きみか・・。」
 だが、咳き込んで口から血を吐いた。
 すぐにストレッチャーで手術室に運ばれた。
 意識はすぐに途絶えた。

(ホロン・・。)
(もう・・いいのか?)
(いや。待ってくれ。)
(またもどるのか?)
(たのむ。)
(なぜ?)
(彼と話がしたい。)
(・・ああ。)
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病の底
 久しぶりに講演の依頼を受けたのは病院だった。
 副院長がエナタンの『LIGHT GATE』を読んで場を設けた。
 この病院では待ち合い室で小さなコンサートを開いたり、廊下に美しい色彩の絵を数多く飾ったりして人々の癒しに心を砕いてきていた。
 エナタンは副院長のエド・ガードナーと一目会った瞬間から彼には垣根がないのを感じていた。
 エドはホロンによく似た瞳をした静かで茶目っ気のある男だった。
「どんな話をしましょう?」
「あなたが話したいことを話してください。」
 エドは信頼に満ちたきらきらした瞳でまっすぐにじっと見た。
 エナタンはその瞳に心が定まった。
 待ち合い室には入院患者やその家族、外来患者、つきそい、手の空いた医師や看護師などでいっぱいになった。
 小さくうなずくと、エナタンは言葉を発した。
「なにかしらの不調を抱えていらっしゃる方々がここへと集まってきています。ここはそういう場なので、病について少し語ってみたいと思います。どうしてわたしがそんな話をするのか不思議に思う方もいらっしゃるでしょう。けれどもすべて地続きなのです。」
 エナタンは用意されたマイクを通して静かにかみしめるように語り出した。
 フェイは以前の噛みつくようだったエナタンの語り口をもう思い出せないでいた。それほど、エナタンは以前のエナタンではなかった。
「生きている者にとって、病ほどつらいものはありません。からだに留まらず、心の病もそうです。一体なぜ病になるのだろう?と誰しもが一度は考えたことがあるはずです。」
 エナタンは用意された椅子に座った。
「二十世紀の目立った答えは環境でした。衛生に注意を払い、食事のバランスに気をつけ、適度な運動が必要で、過度のストレスもよくない。そこからはずれると病となる、と。または、ウイルスというのがいて、それが悪さをするために病となる、と。もちろんそれもあります。けれども、二十一世紀に入るとそれだけの説明では物足りないと感じてきておられませんか?」
 かすかにうなずく人が幾人かいた。
「病の底が深くなって来ているとうすうす感じているからです。病が深くなるなら、どうして病になるのかもその分深くみてみてもいいのではないでしょうか?」
 ちょっと区切って言った。
「もちろん、ひとつには信号という意味もあります。自分の深いところの想いと違っていることをしているがためにそれを知らせる、軌道を修正するための信号。それと・・。」
 エナタンはこちらを向いている人、ひとりひとりの顔を順番に見つめていった。
 ひとつ咳払いするとエナタンは少し身を乗り出した。
「人の深遠には様々な感情が眠っています。それはその人の人生において追加されたものと、それよりももっと深い個人の歴史も超えたものとがあります。横たわっているのです。まるで星と星の間の空間のように。・・星が浮かぶには漆黒の空間が必要です。あまり怒ったことのない月のような人も、怒りを等しく抱いています。怖いものがないと思っている太陽のような人の底にも、底知れぬ恐怖は眠っています。」
 エナタンは車椅子の少女に問いかけた。
「あなたがもし、自分の存在をないことにされたらどう思いますか?」
「それは・・つらいです。」
 エナタンはうなずいた。
「感情もそうです。人に生まれるというのは、その喜怒哀楽を感じ尽くしその感情をここへ、表現するという役割もあるのです。言ってみればわたしたちはそういった感情という目に見えない営みの変換浄化装置でもあります。」
「人が?」
 エナタンはにこっと笑った。
 フェイははっとした。
 あの人のあんな笑顔は、見たことがなかった。・・でも、なぜか知っていた気がする。あの人はあんな笑顔をする人なのだ。
「なぜなら、その時こそ、人は世界を癒しているからです。」
「どういうことですか?」
 いぶかしげに年老いた男性が聞いた。彼は隣の銀髪の女性に支えられていた。
「病がどうしてあなたを嘆かせるのか。病がどうしてあなたを哀しませるのか。そここそが大事ではないですか?その理由こそが・・実は、嘆き、怒り、哀しむことによってほんとうはからだよりももっと深いところを癒しているのです。感情はそれに触れられることによって浄化される。もちろん、個人を超えた感情までも。」
 多くの人が思考停止の表情をした。
 意味がわからないという顔である。
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ギフト
 翌日、エナタンは住所を片手にその施設を探した。
 ダウンタウンの一隅に、その赤いレンガ造りの古いビルはあった。
 ベルを押してしばらくすると、アナが現われた。
「まあ、ソダーバーグさん、わざわざ。どうぞ。お入りください。」
 施設はこじんまりとしていたが手入れは行き届き、居心地はわるくなかった。
 居間に通され、お茶が運ばれた。
 小さな子ども達の声が響くのを聞きながら、エナタンは両肘をソファーに預け、両の手を組んでおもむろに尋ねた。
「さっそくですが、アンディはどういった事情でこちらへ?」
「心配していただいて。・・彼は両親はいるのです。ですが、父親は事故で片腕をなくしてから暴力を振るうようになり、母はそのことで薬物依存になって病院に入っています。兄がいますが、高齢の祖母が引き取ったのは聞き分けのいい兄だけでした。そのことをアンディは自分だけ捨てられたように感じたようです。ここに来たのは1年前ですが、頑なに心を閉ざして言うことを聞きません。自分なんかどうなってもいいというような振るまいをしてそうしてむしろ気を引こうというような、そんな子なのです。」
 エナタンはうなずいた。
「友達はいないのですか?」
 アナはため息をついた。
「近づこうとしても、誰も寄せつけないのです。ですから、あなたのいうことを聞いたときは驚きました。」
 エナタンはまるで自分のことを言われているような複雑な気分になって苦笑した。
「彼は食べ物は好き嫌いは?」
「嫌いなものが多いですが、好きなのはカラメルプリンです。」
 それを聞いてエナタンはくっくっくっとこらえきれず笑った。
「何か?」
「苦虫をかみつぶしたような顔を一生懸命していても可愛らしいものが好きですね。おまけにそれはわたしも好物だ。」
「そう?」
 アナは面白そうに笑った。
「ありがとうございます。ロランさん。」
 そう言ってエナタンは立ち上がった。
「あの子とまた会って下さいますか?」
「ええ。彼とわたしは友達になったんです。」
「友達?」
「そう。わたしにとっては生まれて以来二人目の男友達ですからまた会いに行きます。」
 アナは少しほっとしたように笑った。

 1週間してアンディの退院の日となった。
 その日はクリスマス・イブだった。
 病院の玄関をアナと出たアンディは、そこにエナタンの姿を見た。
「さあ、乗って。」
 自分の車の助手席のシートを指して、エナタンは小さく笑った。
 アンディはいぶかしげにアナの顔を見上げた。
「いいのよ。今日はソダーバーグさんがご招待くださったの。明日迎えにいくわ。」
 アンディはエナタンのピカピカに磨き上げられた黒い車に乗り込んだ。
「おまえ、金持ちなのか?」
 アンディは不機嫌そうにつっけんどんに聞いた。
「どう思う?」
「そうは見えない。」
 エナタンは愉快そうに笑うと、うなずいた。
「いい答えだ。わたしのところに留まるお金は人が思うより少ない。だが、わたしには今もっといいものがある。」
「なんだ?城か?ヘリか?」
 くっくっくっと笑うとエナタンは言った。
「それよりもっといいものだ。きみには見せよう。」
「なんで、オレを招待なんだ?なんのことだ?」
「なにって、今日はクリスマスイブだ。」
「えっ?」
「イブのパーティだ。」

 家に着くと、アンディは雪の積もった美しい庭や森を見回した。
「ここ、ニューヨーク?」
「そうだ。こっちだ、アンディ。」
 扉が開いてフェイが満面の笑みで迎えた。
「ようこそ!アンディ。待ってたわ!」
 エナタンはアンディの方を向いて目配せした。
「ほら。これがヘリよりいいものだ。」
 アンディはニヤリと笑うとフェイと握手した。
 エナタンが森から切り出してきた小さな樅の木には華やかなクリスマスの飾りつけがされていた。
 陽が暮れてフェイが用意した食卓には火が灯された。
 退院したばかりのアンディに合わせて負担にならないものをおいしそうに色とりどりに工夫したフェイの心づくしだった。
 アンディは不思議とフェイの前ではエナタンが苦笑するくらい、借りてきた猫のように聞き分けがよかった。
 笑うことを禁じて忘れていた者が久しぶりに思い出したようなぎごちない笑顔をみせた。
 食事が終わる頃、フェイがキッチンからトレイを運んできた。
「エナタンはアンディの話をよくしてくれたわ。これはわたしからのクリスマスプレゼントよ。」
 そう言ってウインクするとフェイは蓋を取った。
「ケーキはまだ早いと思って。」
 ケーキのようなデコレーションのカラメルプリンが現われた。
「ワーオ!」
 思わず叫んだアンディに、エナタンとフェイは笑った。
 食事が終わるとデッキに出て、星を見上げた。エナタンは指差した。
「今見てる星は想い出かもしれないな。星の光がここまで届くのには気の遠くなるような時間が要る。もう、あの星はあそこにないかもしれない。」
「想い出を見てるの?」
「だけど、想い出ほどたしかなものもないさ。この世から去る時、何も持っていける物はない。想い出だけだ。」
「想い出は持ってけるの?」
 エナタンはうなずいた。
「だからたくさん今を楽しむんだ。」
 フェイがアンディに毛布を着せた。
「エナタン。」
 アンディが問う。
「オレ、ろくな想い出しかない。そんなもの持ってくのか?」
 エナタンはアンディを抱き寄せた。
「これも持っていけ。」
「これもよ。」
 フェイがキスした。
「やめろよ。」
 そう言いながら、アンディの頬はゆるんだ。
 星がまたたいた。

 翌日、迎えに来たアナに連れられてアンディは帰っていった。
 車が見えなくなるまで見送って、エナタンはフェイに微笑んだ。
「ありがとう。」
「楽しかったわね。夕べの想い出はアンディの持ち物になったかしら?」
「ああ。また想い出を作ろう。メリークリスマス!」
 そう言ってエナタンはフェイへ贈り物を渡した。
 朝日のような笑顔を浮かべると、フェイは包みを破った。
「マデリン・ヌーベルバーグじゃない!わたしが一番好きな歌手よ。知ってた?」
「ああ。知ってたよ。」
 エナタンはこっそり笑った。
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アンディ
 時が止まったような時間を過ごして、扉の開く音に我に返った。
 ストレッチャーに乗せられたアンディが運ばれて来た。麻酔で意識はない。
「もう大丈夫ですね?」
「ああ、あなたですか。大丈夫です。」
「身元は結局わからないんでしょう?」
 看護師が答えた。
「施設の子どもらしいですね。施設の名前が下着に縫い付けられていましたから。連絡してみます。」
「どこの?」
「ダウンタウンの方です。」
 医師と看護師は会釈すると、ストレッチャーをエレベーターに乗せて病室へと上がっていった。
 エナタンはひと区切りついたことを知り、歩き出した。
 タクシーを拾った。地下鉄に乗る気が失せてしまった。
 雪の中を家へと向かう車にうずくまりながら、ニューヨークの夜景を眺めた。
(アンディ・・。もうすぐ、クリスマスだ・・。)

 3日後、エナタンは病院の階段を昇った。
 受付でアンディの部屋を聞いた。スタッフはエナタンの顔を覚えていた。
 4人部屋の窓側にアンディはいた。
「やあ。」
 アンディはエナタンのことが分からず、警戒した顔をした。
「覚えてないか。階段できみを抱き上げてここまで連れてきた。」
 アンディはむすっとした顔になり、横を向いた。
「覚えててくれたな。今日はずいぶん顔色がいい。すぐに退院できる。」
「退院なんかしたくない。放っといてくれればよかったんだ。」
「帰りたくないのか。何かあったのか?」
 アンディは眉根にしわを寄せた。
「関係ないだろ。」
「そうだ。・・関係ないな。」
 そう言って後ろに持っていたものをアンディの目の前に出した。
「メリークリスマス。これを受け取ってくれれば関係はできる。」
 アンディは横目で包みを見た。
 だが、顔は横を向いたままだった。
「どういう関係?」
「友達だ。」
 今度は真正面にエナタンを睨み付ける。
「なんで?」
「なんで、もないだろう?友達になるのに理由がいるか?」
「憐れみならやめろよ。」
 まだ、10にもならないかに見えるアンディがそう口にするのを聞いて、エナタンは笑ってうなずいた。
 ベッドに腰掛けてアンディに告げた。
「きみが可哀想なら友達になんかならない。」
「じゃ、なんで?」
 気の張っていた声のトーンが少し下がった。
「きみはちゃんと怒ってた。きみは、僕はここにいると叫んでた。だからわたしは答えたくなった。そうだ、きみはそこにいるって。」
「・・?・・だから?」
「そういうのを友情って呼んじゃだめか?これはものじゃない。友情の証だ。さあ。」
 そう言ってエナタンが差し出す包みを、アンディはしぶしぶとその小さな手で受け取って破き始めた。
 中から出て来たのはターコイズブルーとエメラルドグリーンが混じったマーブル柄のふかふかのマフラーだった。
「きみの髪の色に似合うんじゃないかと思って。」
 赤毛のアンディは黙ってマフラーを握った。
「怒ってるのか?」
 アンディが何も言わないのでエナタンは少し心配になった。
 そこへ看護師と中年の女性が入って来てアンディのベッドに歩み寄った。
「アンディ。」
 アンディは声の方を振り向くと眉間にしわを寄せた。
 看護師が紹介した。
「ああ、この方はアンディを地下鉄の駅からここへ運んで下さった方です。えー・・。」
「エナタン・ソダーバーグです。」
「ソダーバーグ?」
 女性は聞き返した。
「あの、作家のソダーバーグさん?」
「・・ええ。」
「まあ、それはそれは。わたしはアンディを預かっている施設の施設長です。アナ・ロランといいます。この度はありがとうございました。」
 エナタンはアンディを気にした。
 さっきよりもさらにむっつりと貝のようになっている。
「この子は脱走の常習犯でして、目が離せません。」
「アンディに何か?」
「様子を見に来たんです。」
 アンディはマフラーをアナに投げつけ、ベッドから降りて走ろうとした。
 エナタンはアンディを抱きとめた。
「だめよ!おとなしくしてなさい!」
 アナはピシリと叱ったが、アンディの心には届いていなかった。
 小さいが確かなぬくもりが激しく生きようともがいているのを自分の両腕に感じながら、エナタンは小声でささやいた。
「山羊男を知ってるか?」
 腕から逃れようと暴れるアンディに構わず、話を続けた。
「背中には紅いたてがみのような毛が生えている。たてがみを知ってるか?」
「うるさい!離せ!」
「ひづめを響かせて2本足で立って歩く。走ると速い。わたしは追い抜かれた。」
 腕を振り回して暴れていたアンディは、ふいに疲れたのか力を抜いた。大きく息をしながら、不機嫌そうにつぶやいた。
「・・競争でもしたのか?」
 エナタンは笑って力を抜いた。
「追いかけられそうになったんで逃げたんだ。」
「なんで?」
「聞きたいか?」
 アンディは黙った。
「じゃ、ベッドに入るんだ。話そう。」
 アンディはむすっとしたままおとなしくベッドに入った。
 エナタンは看護師とアナにうなずくと、アンディに語り出した。
 
 小1時間ほどしてエナタンは病室を出た。
 ナースステーションで看護師が笑顔を見せた。
「眠った。」
「ありがとう、ソダーバーグさん。助かりました。」
「ロランさんは?」
「お帰りになりました。アンディが興奮するといけないからと。」
「施設で何かあったのですか?」
「さあ、わたしたちもまだ詳しくは分からないのです。」
「その施設の名前と場所を教えてください。」
「わかりました。」
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